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2009年10月 7日 (水)

ロシア語の思い出

50年近く前、大学2回生になって、第3外国語として
フランス語の履修届を出そうとしたちょうどその日、
ガガーリンが初の有人宇宙飛行に成功した。
急遽フランス語をロシア語に変更したが、結局前期だけで
挫折した。記憶に残ったのはロシア文字だけだった。

放送大学で1987年に受講した開学当初の浅岡宣彦助教授
「ロシア語」は週2回授業の4単位科目で、進度が速くて
たちまちついていけなくなったが、試験1ヶ月前から毎日
1課ずつテキストだけ勉強して何とか@をもらった。

その後ロシア語はそれぞれ I と II の2単位科目になり、
川端香男里教授、佐藤純一教授の講義と4回も改訂されたが
いずれも履修制限がかかっていて選択できなかった。

ただその間いくつかの面接科目が開講され、その中には
かなりレベルの高いものもあって、上智大学のロシア語
専攻の学生や、海上保安庁の北方国境警備担当の人
なども受講していて、楽しかった。

東京ロシア語学院で検定試験を受けたときのこと。露文和訳、
和文露訳、文法はなんとかこなせた。問題は露文音読。
1人1人に小型カセットレコーダーが渡されて録音する。
大教室で一斉に音読が始まり、最初は大音響の中だが、
早い人はすぐ終わり、だんだん静かになって、最後は
しーんと静まりかえった中で、1人だけつかえつかえ
読む。人生でこれほど恥をかいたことはないような気が
した。放送大学はほとんど独学状態だから、音読する
経験などなかった。どうにか合格した。

再履修制限が解けて、やっと復習が可能になったのは
「ロシア語入門 I 05」「同 II 05」になってからで、前回から
既に20年以上経っている。今度も結局時間がなくて、
テキストだけの勉強になったが、どちらも@だった。

もう一度入門を繰り返せば、基礎は確実になると思って
次回の改訂を期待していたら、放送大学ではロシア語
の放送授業が閉講されてしまった。誠に残念だ。
是非再開していただきたいものだ。

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