放送大学に初入学した頃【その1】 「自然の理解」専攻の理由
初めて放送大学設立計画のことを知ったのは、結婚して間もない
昭和40年代初めだった。自宅でテレビ・ラジオで勉強できるなんて
夢のような大学だと思ったが、当初は関東地方だけとのことで、
当時住んでいた山口県の小都市と、あらゆる機会に恵まれた
首都圏の格差が身にしみただけだった。
いよいよ来年から放送大学が関東地方で授業を開始すると
報じられた昭和59年になっても、私はまだ山口県にいた。
ところが学生募集開始の寸前に、思いがけなく夫が東京転勤
になり、夢の大学に手が届くようになったのである。
東京へ来て初めて、自分の用事で外出したのは、放送大学の
願書を配布初日に、東京第一(現世田谷)学習センターに取りに
行くことだった。東横線学芸大学前駅から、さんざん迷って、
やっとたどり着いたそれらしきところは、旧図書館短大跡で
改築工事中だった。隣の学芸大附属高校の守衛室で、願書を
もらったことを覚えている。
学修案内を何度も読み、改姓届も出していなかった出身校に
戸籍抄本を添えて卒業証明書と単位取得証明書を申し込み、
書類をそろえた。先着順に入学許可とあったので、願書受付
初日の朝、7時頃に郵便局に行って、速達で送付した。
最初は「人間の探究」で歴史と語学でも勉強しようかと考えて
いたが、学修案内を見て考えが変わった。若い頃勉強でき
なかった理系科目が、ここでは系統的に学べる。これだ!
迷わず「自然の理解」を専攻することに決めた。43歳だった。
若い頃から理系科目に関心はあったが、どちらかと言えば
不得手だと感じていた。若いということは、一見豊かな可能性
にあふれているように見えても、人生のスタートラインで失敗
は許されない。でも、今ならやりたいことにチャレンジできる。
たとえ成績が悪くても、単位が取れなくても、親に申し訳なく
思うことも、卒業できないと悩むことも必要ないのである。
目の前が一気に開けたような気がした。
初めて大学に入学したのが1960年、2度目に放送大学に
入ったのが昭和60年。60は私のラッキーナンバーである。
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